頭からうろ覚えの話になります。平成の途中くらいまでの記憶なので、現在がどうなのかは自分も知りません。
特定郵便局というのがありました。地域の小さな郵便局の多くがそれです。それに対して普通郵便局というのがあります。
普通郵便局はかなり大きな郵便局で、郵便物の配達向けにスーパーカブとかが沢山揃っていたり。そこで働く職員達は公務員に近い存在でした。
日本で郵便制度が始まったのは明治の初期で、この社会インフラが全国に一気に整ったのは各地域の庄屋が特定郵便局として参加したお陰もあり。当初はボランティア色が濃かったそう。
庄屋そのものは世襲制の地域の有力者が多く、特定郵便局の局長は結果的にその地域で大きな力を持っていた様です。
当初はそれで上手く行っていたと思われるのですが、所謂既得権の様な状況が続いてしまったらしく。
地域によっては大きな普通郵便局の局長よりも、小さな特定郵便局の局長の方が遥かに強い立場。場合によっては地元の議員さんよりも強い立場だそうで。
世襲制なので、次に引き継ぐ局長は特に努力も無く利権も引き継げることが可能だったそう。
過去の仕事でたまたま知ったこの制度、凄い世界があったもんだなぁと。
上記に限らず、煙草の販売も既得権があったなぁと。
半径数十メートル以内には新たに煙草の販売店を設けられないとか。現在がどうなのか存じませんが。
他にも、日本の商習慣で暗黙の了解的な既得権はありそうです。ライバル店の近くの出店はなるべく避けるといった。
実際、それでトラブった例を下町暮らしの頃に観ていました。
地元の小さな食料品店がお酒を扱いだしたところ、二軒隣りの小さな酒屋さんと揉めてしまったそうです。互いに地元で何世代も暮らしている方でした。江戸時代から続く商標もあったり。
お酒の販売の法律が変わったのかも知れませんが、気の毒だったので自分は酒屋さんをなるべく利用することに。
しかし、酒屋さんはしばらく後に廃業されてしまいました。更にしばらく経ち、近くに立派なスーパーが進出することに。
食料品店の店主さんはスーパーに文句を伝えたそうですが、意見は通らず、結果的に食料品店も廃業。
仮に、食料品店と酒屋さんの協定みたいなのが上手く機能していたとしても、結果的に二軒とも廃業の道だったのかなぁと。
残念なことに、残ったのは歪なご近所関係だけでした。
帝釈天の参道みたいに同業者が幾つ並んでも相乗効果的な景観に繋がれば理想に思えたりです。合羽橋に行けば調理器具が何でも揃うとか。昔の秋葉原の電気街も(最期は何屋だか分からない品揃えな店も多く)。
ただ、食料品に類するモノだと難しいのかも知れません。余程の特色でも無ければその地域だけの消費でしょうし、同業者が増えても潰し合いになりかねず。
元々、都心の下町は人口流出が激しく、スーパーが進出してもそれだけの需要を見込めなかったらしく。それが大型マンション等の建設ラッシュで需要が十分見込めるようになったそうで。
ただ、上記の立派なスーパーも苦戦していました。都心だからと高級路線の品揃えで、客足は伸びず。大昔は大きな青果市場が近くにあった下町エリアの客層に受け入れられなかった感で。客層を見誤った様子。
結局、適正価格な品揃えに路線変更して自分も利用するようになりました。
自分がその下町に引越してきた当初は、徒歩圏にスーパーが全く無く、炊事自体を諦めていました。それが、十年後くらいにはスーパーだけでも三軒ほどに。
地方の商店街が大型スーパーの進出でシャッター通りになってしまうパターンは、何処でもあった様ですし。
過去の商習慣な既得権みたいなのは、どんどん無くなっているんだなぁと。
ある面、公平なことだとは思えたり。
最近身近にあった出来事がキッカケで、ちょっと頭の整理をしてみた記事でした。
どうにも自分の頭は古いのか、暗黙の既得権みたいなのを支持していた感で。既得権そのものは好きでも無かったのに。
大企業であっても、ライバルの出現で倒れてしまうパターンは多いです。二番手三番手の方が何かに優れていることも。
他にも、技術革新で扱っていた製品自体が不要になったり。何らかのボランティア活動が広がり、本業の方が利益を出せなくなることも。当時の自分は地域のHomepageを幾つか任されていたものの、ネット難民な高齢者は閲覧する手段が無かったので、お古のPCを持ち寄ってサポート出来ないかと企画しかけたこともあって。
今後も需要が見込まれる何かを扱っていても、一工夫するとか、サービスを良くするとか、価格を見直すとか等の努力が無いと、競争には勝てないんだろうなぁと。
ネットで最安値を探す場面も増えました。実店舗でサイズ確認だけしてネットで購入といったことも。酷い客だと思うので、たまには実店舗での購入もしています。
ただ、お気に入りの実店舗だけは別格でした。何とか生き残ってほしいお店は幾つもあって。
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