タイトル自体間違った表現かもしれませんが、人の往来について。
コロナ禍で移動制限な時期があったりしたのですが、そういえば明治以前の日本はそもそも自由に移動が出来なかったイメージだなぁと。
関所越えには通行手形が必要で、赤穂浪士といった著名な時代劇でも箱根の関所越えは重要な場面だったり。まぁ、この作品についても創作された部分が多いようですが。
かといって、東海道中膝栗毛の様な庶民の自由な旅も許されていたっぽくもあり。
江戸時代の庶民の往来が実際どうだったのかWikiで軽く検索したところ、勝手な移動は駄目だったものの、お伊勢参りは無条件で許されたそうです。他にも有名寺社の参詣旅もおおむね許されていたそうで。
それにしても、通行手形の発行が必要だった様子ですが。
そんなことを検索している途中で気になる記述がありました。藩という名称は江戸時代に使われていなかったそうで。
幕末ものの時代劇では土佐藩だの長州藩だのといった言葉が飛び交うワケですが、当時はそんな呼び方をしなかったそうで。明治になってから定着した呼び名だそうです。
細かい人だと、時代劇上でそういったセリフがあったら「おかしい!」と騒いだりするのかな。まぁそう表現した方が現代人には分かりやすいと思います。
通行手形の書式も少し興味深かったです。
Wikiによると『通行手形の内容は、現代のパスポートに記載されている文面とよく似ているとも言える。通行手形持参人の身元、旅行の目的(諸国寺社参拝など)、関所通過の要請、関係諸官への便宜・保護要請、発行者の身分所在地などが記載されている』だそうで。
実際、当時の藩というのは一種の小国みたいなもので、通行手形には他の国でトラブった場合の保護も記載されていたんだなぁと。確かにパスポートに近く。
司馬遼太郎の「竜馬がゆく」でも、命からがらの竜馬が土佐藩邸に逃げ込む場面が幾度かあった記憶です。
〆の言葉をしばらく考えていたのですが思いつかず、綴っていたPCがWindows Updateの再起動を即しているのでここまでで。
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