昨夜のこと、ふと思い出した言葉「ラプラス変換」。
電気工学科の大学では必ず習いそうな関数です。
思い出したというよりは、Wikiでブラックホールの記事を読んでいた途中に「ピエール=シモン・ラプラス」なる人物を観掛け、この珍しい名前ってあのラプラス変換の人なのかな?と。リンクを辿ってみると確かに同じ人でした。
ラプラス変換自体、微分積分や代数の基礎が無いと理解し難い関数でした。幸い、自分は高校時代にその辺の分野をしっかり習得していたので、何とかなった様子です。やっつけ仕事でどうにか単位を取得しました。
ただ、夜間大学だったので社会人入試で入ってきた同級生達は相当苦労していました。高校時代に習っていたとしてもブランクが長かったり、高校によっては全く習っていない人も居て。
一般試験でも物理か化学を受験時に選択できたのですが、物理を習っておらず化学で入学してきた学生は一般教養の物理で相当苦しんでいた様子でした。
他にも、微分積分を知っていたら物理の問題をいとも簡単に解けたり。
昨夜は「ラプラス変換が何だったのか?」を軽く検索したものの、サッパリ解らずでした。綺麗サッパリ忘れてしまった様子。
社会人になってからも技術系で制御工学を仕事にしている人くらいしか、その後に使う機会は無かったと思われます。
自分の場合は技術系の仕事が長かったですが、必要とされる数学の知識はほとんど中学レベルで済んでいました。
だいたい、世の中数学に限らず何でも中学レベルの知識で足りてしまいそうです。英語にしても中学レベルの内容を完璧にこなせたら最低限のコミュニケーションは取れそうですし。
逆もしかりで、高校以降で習ったことを仕事で活かせている人は少なそうにも思えます。
大学を卒業しても、社会人になってから教わったことは多いですし、趣味の世界で知ったことも多く。
身の回りでも大学での専攻と全く異なるジャンルに進んだ知人が多いです。結局のところ、高校や大学で学んだことは何だったのか?と思えることもしばしば。
だいたい、時間もお金も相当掛かっているワケですし。大昔はそこで学んだことを活かせる仕事が多かったのかなぁと。
十年以上前から博士課程の卒業生の就職先が無いと騒がれていましたが、それが最も分かりやすい極端な例で。そもそも大卒の就職先も無いというより建前だけにも思えてしまい。
そいうったマイナーな専門知識、自分の場合は一部の人しか理解できないジョークで時々使うくらいだったりです。
ラプラス変換についてのWikiの記事でちょっと興味深かった記載が。
『1899年に電気技師であったオリヴァー・ヘヴィサイドが回路方程式を解くための実用的な演算子を経験則として考案して発表し、後に数学者がその演算子に対し厳密に理論的な裏付けを行った経緯がある。理論的な根拠が曖昧なままで発表されたため、この計算手法に対する懐疑的な声も多かった。この「ヘヴィサイドの演算子」の発表の後に、多くの数学者達により数学的な基盤は1780年の数学者ピエール=シモン・ラプラスの著作にある事が指摘された』
理論的な根拠が曖昧なまま経験則で発表というのが、なかなか素敵です。「根拠は不明だけど何故かこうなる」的な。
現代の物理学者でも予想までは立てられても証明までには至らず、苦労している人は多そうです。上記のブラックホールの歴史についても、仮説の域からなかなか抜けられない理論も多かった様子です。
漱石の三四郎の序盤に、東大で物理を専攻する研究者(寺田寅彦がモデル)が登場するのですが、当時としては最先端な学問の一つだったと思います。当時の東大に入れる人は現代よりも更に選ばれた人だったとも思います。
アインシュタインの特殊相対性理論の発表と漱石の三四郎の発表は似たような時期なので、当時の寺田寅彦さんがその辺の知見を持っていたのか謎です。
現代の理系の高校生は、僅か百年前の先端分野を覚えなくちゃならなず、なかなか大変だよなぁと。
更に百年後の学生とか千年後の学生とか、どれだけ詰め込まなくちゃいけないのだか。
更に話が飛んでしまいます。
以前の仕事で立派な研究機関に出入りする機会が多く。その中には原子力分野もありました。
兵器としてではなく、電力の源としての研究をしていた機関だったのですが、東日本大震災以降は相当な苦労があった様子でした。
担当者の方と久し振りにお会い出来たのは震災の半年後。現代の研究機関というのは非正規雇用の方も多く、そんな中で腰の低い丁寧な言葉遣いの正規の研究職。自分の様な出入の技術者のつまらない質問に丁寧に答えてくれたりで。
「あのあと、大丈夫でしたか?ずっと心配していたんですよ」との言葉に一言「大変でした」と。見た目も十年くらい歳を取ったというかやつれた姿でした。
担当者の方とお会いしたのはそれが最後でした。国の研究機関から母校の研究室に戻り、廃炉の技術的な研究に励んでいるそうです。
先週末の「ポツンと一軒家」では、過去の訪問先をもう一度訪ねる回。以前に気になった老人が再び登場していました。
昔は何世帯も暮らしていた集落、現在はその一軒だけ。
御主人も若かった頃は農作業以外に牛を飼ったりしていたそうです。牛の餌を貯蔵するサイロはコンクリート造り。
そういった納屋やコンクリートの建物を壊す日々だそうで。死ぬ前に片付けは自分の手でと考えているそうで。言葉少ない老人、一言一言に重みがあり。それがケジメだそうで。
ちと話が飛び過ぎました。世の中、いろんな人がおります。
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