人柄

人柄、性格、気質、精神とか。
この時期は過去の大戦関連の番組が多く放映されていて、例年と変わり映え無いようなのをまた観てしまったり。
戦前から戦時中にかけて戦争肯定派だったメディアや政治家が、敗戦後は何事も無かった様に戦争反対と唱える例はあったりしたそうです。子供の頃に読んだ「はだしのゲン」でもそんな地元議員が居たような。
戦争に限らず、そういった人は実際に居るよなぁと。政治家や経営者の一部にその傾向がありそうで。

自分のことしか考えていないとか、我が強いとか。でも、それくらいの意気込みが無いと組織を引っ張れないかも知れません。
自分については、どうにも判断要素が多くなってしまうと答えを出すのに時間が掛かってしまい。そういった場面で、相手の都合など考慮せずに自分のメリットだけでパッと答えを出せる人がいたり。
周りは「ワガママな奴」というレッテルを貼っているのですが、何故かその主張が認められてしまう妙な集団になっていたり。

学生時代から付き合いのある友人、自分の場合は一風変わった輩が多かったです。個性的というか。
基本的に利己的な奴は寄せ付けなかったので、利他的というか持ちつ持たれつな友人なのですが、発想が豊かというか、自分では思いつかなかったような考えや選択がなかなか斬新で。
世間的には変人扱い寸前なのも居ます。たぶん、自分もそれに該当しそうです。
そんな友人達の一人で、いまでもスマホで取り留めも無いメッセージを飛ばし合っているのがいます。その友人がしばらく前に語っていたのですが「どうやら俺はADHDだったようだ」と。
医者に宣言されたのかまでは聴いていませんが、子供の頃からの言動を思い返すとADHDの症状そのものだったそうで。
自分はADHDとか似たような英語の略語の意味に強くなく、検索してみることに。

ADHDの症状を観ると、どうにも自分の子供の頃にも該当しそうだなぁと。
小学校の低学年の頃に、所謂問題児だった生徒が同じクラスに居ました。授業の妨害をしてしまったり、勉強も全く駄目だったものの、やってることが可笑しくて、自分は案外好きな奴でした。
授業の合間の休み時間に校庭のブランコで奴と遊んでいたら、何だか楽しくて。気付いたら周りに自分達以外の生徒が居なく、慌てて奴を連れて教室に戻ったら、既に授業は始まっていて。
ちょっと反省しました。と同時にちょっと怖くもあり。

奴の言動が無茶苦茶だったので、奴の母親一人だけが授業参観みたいな場面もあったりでした。
教師は既に匙を投げてしまっていた様子。注意することも無く。
授業中までブランコで一緒に遊んでいた自分は教師から呼び戻されることもなく。
「ひょっとして、自分も見放されてしまったのかな?」と。
小学校の一年と二年はクラス替えがなかったのですが、二年生に上がる場面で奴の姿はありませんでした。それも何の説明も無く。
ほとんど神隠しの様な出来事。後から知ったのですが、奴は特殊学級に送られたそうです。

あと、思い返すとこいつもADHDだったのかな?な知人が何人か。
これがけっこう勉強の出来る奴ばかりで。発想力や行動力が凄いのですが、不得意な分野も酷かったり。
中にはやはり超利己的な奴もいたりでした。よくもソコまで出来てしまうなぁと。その同級生は幾度かの浪人後に国立の医大に進学し、現在はお医者さんだそうです。当時の国公立の医学部というと、東大の何処かの学科に入れるレベルで。
しかし、あんなのが医者になったら、自分は絶対に診察を受けたくなく。人としてどうなの?と思える場面を幾度も観てしまっていたので。
学業が優秀過ぎる人というのも、けっこうな確率で何か欠けているところがあるかと思っています。

もちろん、全ての政治家や経営者がそうだとは思っていません。ただ、現在の各国首脳を観るとそんな方が何割か潜んでいるかと。
自分はメンタルが普通くらいなのかと思っています。ただ、一歩間違ったらメディアから総叩きになりえる目立つ職業というのは向いていないだろうなぁと。あぁいったのは何か欠けているとか何処か無神経じゃないとメンタルが壊れてしまいそうで。
実際にそれで壊れてしまった人を何人か観てきたので。利己的な言動が過ぎ、何かでコケたとき誰も助けてくれない場面ってあったりしますよね。

ただ、個人事業主の中には身勝手な性格も含めて親しみを感じる人も居たりでした。
嫌な仕事は断ったり、嫌な客には平気で文句を言ったり。あれで喰っていけるのはけっこう幸せそうです。
遠慮せずに好き勝手やった結果、上手く行くパターンとか、これも羨ましく。自分の場合はドジや痛みを知り過ぎたのか、どうにも遠慮しがちになってしまった感もあり。

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