特に文章に残すとき、自分は意図的に丁寧な言葉を使いがちです。
最初からそうだったワケでは無い様で、二十年以上前のチャットでの会話を読み返すとけっこう恥ずかしく。
ただ、同級生とか親しい間柄では勿論くだけた表現も使いますし、シモネタも昔から好きです。
でも、丁寧な言葉が必要な場面でそれが全く出てこないのは問題もありまして、なるべく慣れるようにしている一面もありそうで。
学生時代からの友人の一部とは、メッセンジャーで他愛のない会話も楽しんでいるのですが、昨日指摘された部分がどうにも引っ掛かっていまして。
自分の作った料理に対して「いただく」という表現はおかしいとの指摘でした。
確かに、自分を立ててしまうようにも思える表現なのですが、そんなつもりは無く、自分の中では「食べる」より丁寧で。
何より、「いただきます」と「ごちそうさま」な文化が好きですし、生産者や生き物への感謝も含まれていて。
メッセンジャーではその辺の説明も返信したのですが、話題はどうにも平行線のままでした。
自分はどうにも頭がカタい様で。しかし、毎度その表現を使って相手に違和感与えるのも申し訳なく。
これは自分が直した方が良いのかな?
椅子に「座る」よりも「かける」の方が好きだったり、「行く」より「伺う」が好きだったり。他にも色々ありそうです。
何年も前のラジオ番組で、「いる」と「ある」の違いについて解説していました。
「人がいる」「猫がいる」「ジュースがある」「猫の置物がある」「死体がある」等。
生きているものに対しては「いる」が普通だそうで、自分でも無意識に使い分けていて。
日本語に慣れていない外国の方とか、その辺の使い分けは難しいだろうなぁと。
日本語も英語の様にもっとシンプルだったらなぁと時々思ったりです。
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