今週、川崎で無差別殺人な事件がありました。犯人は無職の51歳だったそう。
自分としては、同年代で無職経験もあったので色々と考えさせられてしまい。
自分の無職期間がどうだったかというと、将来の為に貯めていた貯金を崩しながらの生活で、無職であるのが恥ずかしくて平日の昼間は外に出難かったです。
しかし、そんなのを気にしていたら筋金入りの引き籠りになりそうでしたので、単車で出掛けたり小さな庭の畑仕事をしたり。
お陰で、地域の方々と仲良くなれたりも。お花の鉢を分けて頂けたり、採れたての地元の野菜を分けて頂けたり。
この地域に暮らし始めてようやく四年といったところですが、集合住宅で暮らしている割には顔見知りで冗談を飛ばせる間柄の御近所さんが十名ほどになりました。
その方々には無職であることを伝えていて、時々自虚的な冗談も振っていて。
「一人暮らしなもので、もしポックリ逝っちゃったらすぐに見つけてあげてくださいネ」と。
半分冗談のつもりでしたが、逝ってしまってから発見が遅れたら色々と酷いことになってしまいそうですし、変わり果てた姿で発見されてしまうのも恥ずかしく。
下手したら事故物件扱いになってしまい、マンションの方々にも迷惑かけてしまうのでしょうし。当然、その後の処理を担当する方々や葬儀に関わる身内にも申し訳なく。
そんなこんなで、自分の再就職に喜んでくれる方は地元でも多くて。
こういった大きな事件を犯してしまう犯人のバックボーンは、無職であったり楽でない生活を強いられていたりの割合も多いとは思います。
ただ、そういった生活環境の誰もが「人に迷惑を掛けて構わない」とか「社会を恨んでいる」とかいった思考回路では無いと自分は思っています。逆に痛みを知っているから人一倍親切な人も居たりして。
元々の人柄に問題があったから、結果的に社会に溶け込めなず、自分の弱点を社会のせいにしてしまったのかなぁとも。秋葉原や池田で大きな事件を起こした犯人の証言を思い出すと、そんな共通点を感じてしまい。
今回の犯人が実際にどう思っていたのかは本人が自害してしまったので謎です。ただ、メディアで紹介される過去の素行を知ると、上記と似たようなタイプだったのかなぁとも。
事件の直後にTwitter等では「死にたければ一人で死ね」という投稿が身の回りで多かったです。そのしばらく後には「そんな投稿をしてはいけない」とのニュース記事も。
個人的には、自害に限らず不運は一切巻き込まないのが良いと思っていて。例えば、一人でしか片付けられない急用が発生し、手伝いようが無いのに一緒に残業してくれる同僚が居るなら、有難くはありますが申し訳ないのでハッキリ断るようにしていたり。(誰も残ってくれないから見捨てられたと判断する人も中には居るようですが)
また、日本独特なのかも知れませんがハラキリの伝統は残っているのかなぁとも思っていて。テロとは全く逆の、全ての責任を一人で被る的な。問題をそれ以上長引かせない決着というか。
「そんな投稿をしてはいけない」のニュース記事については「迷惑な同類を刺激しない為にも」といった目的があった様子ですが、そんな迷惑な存在が何をキッカケに同じようなことをしでかすかなんて、分からないと思います。
心のケアが必要なんだろうなぁとも思えたりですが、トラブルメイカーな方に自ら接触を試みる方は少ないハズで。
じゃあどうしたら良いのか?な部分は法整備でもしない限り難しいのかなぁと思っています。ちょっとした事件を事前に起こしていても、今後何しでかすか分からないとか更生の余地がないのなら、表にでるべきじゃないのでは?と思えたり。
人権も含めた権利については、判断力の乏しい人にまで同じように与えられたらこういった事件に繋がりやすいのかなぁとも。
実際問題、それが放置されなければ何の罪も無い一般人が多数巻き込まれる今回の様な事件は減りそうですし。
あと、無職で引き籠るにしても、他人のお金を頼りに生きているのが問題あると思うんです。それが資産家で一生食うに困らないなら別ですけれど、そんな恵まれた人は世の中で一握りでしょうし。(自分がそうだったら、ど田舎で自給自足に近い生活をしてみたいですが)
本人に働く意思があるのなら、国や地域が何らかの手を差し伸べてあげたらいいのになぁと。
自分の場合は高校を卒業してから金銭面で頼りになる人が誰も居なかったので、自力で何とかやっていくしかありませんでした。(大学の一時期はかなりしんどかったですが)
結果的に、そのお陰で自立して生きてこれた部分はあったと思います。
ただ、一人で生きていくだけで精一杯という思いはずっとあります。これが婚期を逃した点でもあったかなぁとも。
人が頑張れるのって、守れる相手が居るからこそって部分があったりで。
今回の事件の犯人は身内の家に居候していて、五十代になっても守られていた立場だった様子です。
ニュース記事で時々見かけるのですが、80代の定年後の親と50代の無職の子供の将来が案じられる時代でもあるそうです。それもけっこうな人数だそうで。
これも今後深い社会問題になってしまいそうですが、長く綴り過ぎたのでキリの悪いここまでの記事にしておきます。
コメント