かすみ目にはチャップリン

小学生くらいの頃の夏休み、70年代後半の夏休みは夜になるとチャップリンの小劇場や代表作がテレビで放映されていたものでした。
小劇場というか短編も面白かったのですが、代表作の一つであった「サーカス」のエンディングは子供ながらに泣けてしまい。
あれだけ尽くしたのにサーカスの一座が砂煙とともに去る中、どうして一人取り残されてしまうのか。
自分は三人兄弟の三男坊、末っ子だったので、あの場面でブレーキも効かず涙ポロポロでした。

今宵は何かの拍子で「街の灯り」を観てしまい、結末も作りも知っていたので最初から涙ポロポロ。二十年ぶりくらいに観てしまいました。
盲目の美しい女性に憧れてしまったホームレスの物語です。時代背景の説明が無いと、細かな進行の意味が通じない作品でもあります。

1931年の作品である「街の灯り」、前作の「サーカス」が好評だったものの、サイレント作品の中でどうやって状況を伝えたら良いのか主演でも監督でもあるチャップリンは何年も悩んでいたとか。
チャップリンの作品は道化な要素が多いものの、本人は完璧主義者で何となくな進行が出来なかったらしく。しかし、ビデオも無かった時代にやたらと細かいディテールに拘り、製作者の方々にも厳しかったそうで。
平凡な閲覧者側は、何度も観ないと各場面の意味が分からなかったかと。現代なら容易なのですけれど。

盲目の花売りの乙女。お花を買ってくれそうなのは富裕層くらい。
車のドアの開閉音が鳴り、近付く足音。当時の自動車の所有者は富裕層くらい。
そこにたまたま現れた富裕層とは程遠いチャップリン。
何故にこの乙女は、こんなに優しいのか。
どうやら、目が見えないらしい。
自力で何とか救えないものか。

70年代まで版権か何かの関係でしばらくはテレビ放映や上映の機会が少なかったそうです。チャップリンの作品は左翼的だと批判されてアメリカでも立場悪かったらしく。
ただ、子供の頃に観れた自分は案外幸せだったのかなぁと思います。観ないまま大人になるのとは違いが出てきそうで。

ここしばらく「かすみ目」に困っていました。老眼とは症状が異なり老眼鏡を使っても視力は改善せず。
チャップリンの映画で涙をポロポロ落としてしまったところ、かすみ目が改善。
目が乾いていたのかな?瞬きが足りなかったとか、目の表面が汚れていたとか。
最後に妙な発見でした。

追記:
映画の途中々々で時々セリフが英語で登場するのですが、比較的短文で大意は掴みやすかったです。
しかし、一つだけ難しい表現が。「I’ve made a conquest!」というセリフです。
直訳すると「私は制服された!」な意味になってしまいそうですが「惚れられちゃった!」が妥当そうで。(数十年前に観たうろ覚えですが)
現代でも、そんな言い回しが普通なのか謎です。

コメント

  1. ルノワール佐藤 より:

    「サーカス」は、ライオンの檻シーンや超絶綱渡りシーンで腹を抱えて笑った記憶のほうが鮮明だったので、エンディングで泣くなんてことは、俺よりもSUKIYAKI氏の成熟度が高かったことを意味しているな。
    「街の灯」は、学生の頃なんと映画館の大きなスクリーンで観る機会に恵まれたのだが、周囲の目もはばからず号泣してしまい、ひどく赤面したことを覚えているw

  2. SUKIYAKI より:

    ルノワールさん
    サーカスはテーブル上の手品が無茶苦茶になってしまった場面が大笑いでした。何とか取り繕うとしながらも、それがまた可笑しくて。

    ここで綴るべきか迷えましたが、幼少期の三人兄弟、母は夜の仕事で時々帰ってこないことがあって。電話一本くらいほしかったのですが。
    このまま見捨てられたらどうなっちまうんだろう?とか、恐ろしく。仲の良い兄弟ではなかったとも思いますが、バラバラになってしまうのは何だか嫌で。
    取り残されるラストシーンはそんなのもあって、無駄に響いたのかなぁ。