本日はお昼頃にセピアさんにてカレーピラフを頂き、その後自宅で調べごとをしていたらソファーでそのまま転寝。
お腹一杯の睡魔に任せられる幸せ、なかなか贅沢にして心地良く。
これが、軽く目を覚ましてはまだ寝れるの繰り返し。時は既に日没近く。
何気にテレビのリモコンに触れてみると、時代劇。
ボロいお稲荷さんにて若い男女な数分間。
そういえば「みをつくし料理帖」が最近放映されているらしく、これがそうなのかな?と。
「みをつくし料理帳」は何年も前から気になっていた作品でした。気になった理由は幾つもあり、どれを切り口に語るべきか分からぬ程。
ともかく面白い作品らしく、その作品が理由か十年前の自分の地味な記事へのアクセスは一時から多い状況。
一昨年の引越しまで十二年暮らしていた神田同朋町では、古くから続くお祭りや行事に色々と文化を感じていました。そのお祭りや行事は古くから受け継がれ、守るべき伝統と新しくすべき何かで現在に至る感でした。
古き良さと、現代に合わせられる柔軟性や調和なくして、何事も続かないかと思っています。電柱が立つまでの神田祭はお神輿ではなく山車が主流だったように。
「化物稲荷」だか「化け物稲荷」だかを知った経緯は、こちらの十年前記事によります。たまたま広げた古地図にチラッと載っていたような流れでした。
当時Webで「化物稲荷」検索した際は「半七捕物帳」と昭和時代の映画程度しかヒットしない結果でした。半七捕物帳は青空文庫でも公開されており、なかなか面白かったです。
Blogに記事を載せた頃、自分は町歩きで撮影係等も楽しんでいまして、下町の名所を色々と周っていました。
町歩きの参加者は文化人な方も多く、昔はこうだった等の話も色々と聞けまして。
上記の記事の閲覧数が上がりだしたのはその一年後くらいからでした。
何事かと改めて検索してみると、「みをつくし料理帖」という時代劇な文章が人気らしいと。検索結果の多くはその時代劇関連に塗り替わっていました。
作中に化物稲荷が登場するそうで。その後も人気はうなぎ上りだったようで、ドラマ化は今回が二例目だそうです。
しかし、作者の髙田郁さんも、どうやってこんなマイナーな稲荷を見つけたんだろうと感心してしまいました。古地図でインパクト感じた一人だったのか。
「みをつくし料理帖」には「俎板橋」等の実存する名所も登場しているようです。
全巻揃えて読んでみたい気もします。今回のドラマは録画すべきでした。
化物稲荷については古地図に載っているので当時存在していたのは確かなようです。
しかし、今でも残っているかどうかは自分でも謎です。古地図に載っていた辺りには小さな稲荷がありましたが、それが化物稲荷だったかは確かめられませんでした。まして、それらしき稲荷も周辺の建て替え工事中で現時点では無くなっています。
化物稲荷を探された方の記事がWeb上には幾つもありました。中には否定派の意見も。
自分は否定も肯定も出来ない感です。それを知る人と直接お話出来たワケでも無いので。
江戸の町並みは何度か塗り替えられています。明暦の大火であったり、大正時代の大震災であったり、第二次世界大戦の大空襲であったり。
明治の頃の地図と震災後、空襲後の地図を見比べると相当な違いがあり。現在の道路網とは別物に近く。
当時は道だった場所が現在は建物だったり、その逆も十分にありそうです。
因みに、過去に載せた記事では東京大空襲直後の写真があります。地元の方が空襲直後に神田明神の男坂から上野方面を撮影したものです。この焼野原状況ですと、それまで残っていたとしてもこの時点では厳しそうです。
空襲からしばらくは、地元の妻恋神社も一時的に遷座していました。
ちとだらだらな長文になってしまいました。
途中からで悔しいながら次回からのドラマ「「みをつくし料理帖」」はしっかり観ておきたいです。
主演の女優さんに自分は好感持っていました。昨年放映された「天皇の料理番」で気になっていて。このドラマも途中から知ったのですが。堺正章さんが主演した大昔のバージョンは当時全部観ていました。
(この記事は5/20に書きかけて5/22に加筆の上公開しました)
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