
昔々
ここのところ、公私共に裏目に出てしまう結果が多く、本日もそんな午前中でした。
予定の仕事が早めに片付き、八王子方面から会社へ戻る途中、ひらめきました。
Nさんのところに、写真のデータを届けようと。(数日前の大人の遠足の写真)
今日はサンタになろう。
皇居近くの首都高出口から降りる場面で、更にひらめきました。
会うなら今日だろう。
Nさんの事務所から徒歩数十秒の猿楽町に、おじさんが居るんです。
数百名規模の会社の社長さんです。
Kおじさんは実父の弟で、最後に会ったのは自分が幼稚園に入る前。
東北大の理系を卒業後、大手の家電メーカーに入社した話は実母から聞いていました。
十年近く前、Kおじさんの名前を検索したところ、本社の部長だった様子でした。
数年前に検索してみたところ、関連会社の社長さんでした。顔写真はまさしく自分の血筋そのものでした。
いつか会わなくてはと思っていました。
アポ無しで、自分の旧姓を受付の若い女性に伝え、応接室に通してもらえました。
SUKIYAKI: 突然、すみません。何年か迷っていたんです。
Kおじさん: ケイスケか?
SUKIYAKI: ご無沙汰しておりました。
Kおじさん: 兄の件で、苦労かけたな..
SUKIYAKI: 試練だったと思っていますよ。
Kおじさん: コウタは?ヨウヘイは?(二人とも兄の名)
SUKIYAKI: 貧乏ながらもコウタは北大の理Ⅰを卒業し、ヨウヘイは早稲田の一文を卒業していましたが、
Kおじさん: いま、どうしているんだ?
SUKIYAKI: どちらも父(実父)と同じ理由で、昨年ヨウヘイは他界しています。
Kおじさん: 気にしてはいたんだ。連絡の取りようがなかったんだ。
SUKIYAKI: 自分は何年か連絡の取りようがあったのですが、もう少し立派になってからと思っていて、ご存命のうちにと思ったんです。
そんな会話から始まりました。
路上パーキングに車を停めていたので、一時間未満の挨拶になってしまいましたが、自分の名も兄の名も覚えていてくれて、それだけで嬉しかったです。
実父は東大を狙っていた田舎の神童で、浪人後に地元の国立大学を卒業していますが、アルコールで早死にしています。
二人の兄も含めて、大学に入るまでにエネルギーを使い果たしてしまったと自分は解釈しています。
そんな話も、おじさんはうなずいていました。まだまだ先は長いのになぁと。
実父に再会したのは実母が離婚して15年後くらいでした。
アルコール依存症向けの函館の病院での再開でした。
大学時代、単車で北海道の実家へ帰った戻りルートでした。
実父は既に廃人でしたが、Kおじさんには再会したのを伝えていてくれたそうです。このとき、自分は連絡先を伝えませんでした。
実父は「何かあったら、連絡しろ」と言っていましたが、連絡はしないつもりでした。
平和に暮らしている身の回りが混乱してしまうから。
その数年後に他界していたそうです。
自分が幼かった頃の写真で、Kおじさんと一緒に写っていたのがあったんです。
埼玉の川越で暮らしていた頃の。
帰宅してから探してみたものの、見つかりませんでした。
同じ時に撮ったと思われる写真だけはありました。
記憶の中のKおじさんは、あの時と同じ笑顔でした。
SUKIYAKI: 実父と再会したとき、髪の毛フサフサだったので、それだけで満足だったんですよ。
Kおじさん: 俺もその心配は無さそうだ。白いの多いけど。
SUKIYAKI: 自分も、もう混じってます。
身内の方、これを読んでも実母には伝えないで下さい。
メリークリスマス
コメント
[…] 再開したのが何時だったのかBlogを検索したところ、11年前だったらしく。 身の回りでは一番大成された方だったと思います。大手電機メーカーの部長職まで勤め上げた後、グループ会社の社長も務めていました。 自分が再会したのはそのタイミングでした。38年ぶりの再会で。 もう一度くらい会いたかったです。 […]