こんな世界もあった

某社の経験になります。
自然環境に設置される分析装置を製造販売、設置からメンテナンスまで請け負う会社でした。
自然環境といっても山奥の水源で、そこに辿り着くまでが一苦労。関係者しか入れない林道は落石や道路の崩落も当たり前。
車で移動出来る場所まで辿り着くと、次は荷物を担いで数十回建てのビルの高さくらいの現場まで数往復。
普通の人ですと、現場に辿り着くまでに音を上げそうです。そしてトイレも無いので野糞は必須。
場所によっては小さな小舟で移動。
まぁ、ここまでは事前情報である程度理解していました。

正社員の募集でした。しかし、入社当日は自己紹介等の挨拶が一切無し。総務からの会社説明も一切無し。今時、アルバイトでもそんなことは無いかと思います。
続いて、仕事で使うPCのセットアップ。この辺は過去に自分もネットワーク管理者だったので、大きな問題は無かったのですが、一部有料ソフトのライセンス管理が出鱈目で、けっこう困りました。

始業時刻の一時間半後に社長が登場。実は社長と会うのはこれが初めてでした。
面接の際は二人の方とお会いしたのですが、年配の落ち着いた方の男性が社長なのかと勘違いしていました。特に名も名乗らなかったですし。
面接段階で社長と会っていたなら、自分からお断りしていたかも知れません。言葉遣いの悪さや服装の乱れ等、社会人らしからぬ振る舞いで。着ていたヨレヨレの背広のズボンには目立った穴が開いていて。

程なく社長の号令で緊急会議が始まりました。
社長が溜め込んでいた焦げ付き案件を社員に振り分ける内容でしたが、この振り分け方も強引。入社初日の社員は聴くだけで済むかな?と思っていましたが、幾つかの雑務がこちらにも。
何着もある作業着の大きさや汚れ具合の確認と洗濯。近くのコインランドリーで洗ってこいと。他にも、棚に並んだ工具や部材の整理を依頼され。
まぁ誰かがやらなくちゃいけないし、自分でも出来る作業でしたので引き受けることに。
他にも妙な作業を手伝わされたのですが、そこまで綴ると長くなるので。
こういった緊急の会議は社長の気分で始まるそうです。

入社三日目から山奥の現場へ行くことに。出発は夕方だったのですが、その数時間前に社長が激怒。古株の二人が大声でボロカスに怒鳴られていました。
大声に加えてキーの高い声だったので、半分聴き取れず。「ここは会社なんだから、連絡くらいちゃんとしろ!」の部分は聞き取れました。
何かの緊急作業の状況報告が足りなかった様です。しかし、あの罵声は世間でいうパワハラレベルでした。
この後に予定される出張がどうなってしまうのか心配でした。

六時間くらいの車の運転で現場近くの宿に到着。この間、会社の状況の話も少し聴けました。
古株二名は入社二年未満。他の四人は入社二ヵ月未満。短期間で辞めてしまう社員が多く、この二ヵ月で三人は入れ替わったそうで。(他の社員から聴いた部分もありました)

翌朝は集合時間になっても社長が登場せず。15分程経過して心配だったので社長の携帯に電話しようとしたところ「寝坊した」と登場。
その後の現場については最初に綴った通りでした。職場の嫌なムードの作業も、現場の過酷な肉体労働を味わうと大した問題に思えなくなったりで不思議なものです。
現場では足りなかった道具もあったりでしたが、大きな問題はそれ程無く。

入社二週間の間には他の現場にも伺ったりでした。山奥の景色は美しく、これは仕事の特権でもあるかなぁとポジティブにとらえ。
しかし、現場での荷物運びはやはりキツく。特に荷物を持っての果てしない階段の上り下りは慣れが必要そうです。実際、かなりファットな体格やご高齢の方でも、慣れている方はスイスイと上り下りしていて。

しかし、その間に知った問題が色々とありました。
出先の仕事が多いのに会社からは携帯電話が貸し出されず、個人の携帯を利用するそうで。そして、その個人の携帯番号が名刺にも印刷されるそうで。(そんなの有りなの?)
社長は社員からの細々とした連絡を要求するわりに、社長自身の直近の予定も伝えないことが多く、特に社外からの案件が溜まって焦げ付き出すと社員に突然振り分ける。
実際、急ぎの仕事を皆が抱えている中で焦げ付き案件がやってくると、予定していた仕事が全て無茶苦茶になりがちでした。その度に社長の怒号が飛び交います。
各種の書類や報告書もかなり多いのですが、その運用も不明確であったり重複している事項も多かった感です。フリーのグループウエアも導入されてはいましたが、運用ルールも不明確で実質機能していない感でした。
この点は、以前の仕事で利用していたグループウエアSalesForceの運用が完璧だったのを改めて感じた次第です。必要な書類の入力の二度手間とかほぼ無く、顧客や製品や過去の対応記録等の紐付けも完璧だったので。進行中の案件も一画面で確認出来て、どの社員に負荷が掛かっているかも分かりやすく。
社長自身、平日は深夜までの残業も多く、電子メールは深夜の一時過ぎとかのタイムスタンプもザラでした。土日も仕事をしているそうで、頑張っているのは理解できます。しかし、他の社員から聴いた話ではかなり無駄なことをやっているとも。
社長は営業も設計も制作も現場も一人でこなせるそうです。会社設立からの数年間は全て一人でやっていたそうで。ただ、本人曰く「ソフトもハードも機械設計も全て60点くらい」と自己評価していました。これは意外に冷静な判断でした。
しかし、社員は電気の設計のプロや機械の設計のプロで、その能力は90点はありそうです。結果的に元の設計ミスや問題点も見抜けるのですが、それが通らない場面も多いそうで。
他にも色々と問題はあったのですが、プライバシーに関わりそうなので省略です。

そして、入社三週間目の月曜の朝に事件が。
自分の出社は社員の中でいつも一番早いです。しかし、会社の鍵はまだ持っていないので寒い屋外で十分前後誰かの出社を待つ日々で。以前の仕事でも30分前には出社して、その日の準備に費やすことが多く。
始業の9時にはほぼ全ての社員が集まるのですが、その頃に「今日新入社員がやってくる」との話が。どういうルートで届いた情報なのか知りませんが、皆さん驚き。
自分の初出社の日もそうでしたが、新入社員の初日は朝10時からとなっているようです。
程なく、他の社員から依頼が。新入社員向けのPCのセットアップでした。
しばらく前に自分の分もやったばかりなので、この作業は楽でしたがWindowsのUpdate等の待ち時間が数時間あったりで、効率はあまり良くない内容でもあります。
その作業の途中で新入社員が登場しました。立派な大学を卒業後に大手メーカーで機械設計をやっていた優秀な社員です。普段着での出社が推奨される社内でビシッと決まった背広が印象的でした。
とりあえず名前をメモしてもらい、PCのアカウント名等を設定。最低限の設定も満たない頃に社長が登場。「PCの設定など本人にやらせろ!」との怒号。
新入社員は優秀ではあるようですが、パソコンの設定などほとんど経験したことが無いそうです。そして、ネットワークの知識も乏しいそうで。
その辺を説明しても、社長は本人にやらせろと。

そして、社長はまたしても焦げ付き案件を社員に振り始めました。先週末の段階では別の急ぎの案件を3つ程受けていましたが、それ以上にプライオリティが高いそうで。
自分は1階の作業場で社長の助手を一日担当することに。
いざ作業が始まると「今日は俺の奴隷だ!」と社長の大声。相変わらず言葉が悪い。
現場から戻ってきた製品の動作確認や整備を数時間かけて実施したのですが、これがまたかなり効率悪く。過去の仕事で似たようなことを自分もやっていたのですけれど、手順が無茶苦茶で、ミスも多く。
また、製品の一部分は分解が困難な状況でもありました。
その作業の合間々々に2階の事務所で新入社員のPCセットアップの状況を確認したり。困ったことは無いか確認しては、アドバイスしてあげたり。
しかし、やはり社長はそれが気に入らないらしく、また怒られる自分。
だいたい、取っ掛かりの部分くらい分かっている人が準備してあげるべきだと思っていますし、PCの技術者として新入社員が採用されたワケではありません。まして、新入社員は急ぎの図面作成が幾つも待っているそうで。

その日はほぼ一日社長の助手で終わりました。本当に奴隷の様な扱いでした。あぁ恥ずかしい。
周りの社員はどうかというと、自分に火の粉が飛んでこないように観ぬフリ聴こえぬフリ。
社長がぶっ飛んでいても、補佐役がしっかりしていたり社員同士の助け合いがしっかりしていれば案外まともな組織だったりするのですけれど、皆さん完全に萎縮している感です。
尼崎事件で主犯となった角田被告と同居していた人々に近い関係というか。もちろんそこまでの事件性は無いものの、それに近い雰囲気というか。

試用期間の一ヶ月目の唯一の救いは基本的に定時で帰社出来ることです。
その日は新入社員と一緒に帰ることに。
初日の感想を聴いてみると、言葉を濁らせながらの回答が。
社長から参考に見せられた図面は不備も多かったそうです。時折聴こえてくる社長の怒号にも驚いたそうです。入社時の自己紹介や総務からの説明が無かった点も驚いていました。
ちゃんと見抜いていた様です。自分の気になっていた点と重なる部分も多く。
途中のターミナル駅まで一緒で、お疲れ様でしたとお別れ。
明日からは私服で通勤なので、ユニクロで服を買ってから帰宅するとのことでした。

翌日自分は会社を休みました。先週までの出張の残業分で代休を取っても構わないとは聞いていましたが、体調もすぐれなくそろそろ判断が必要だと思えまして。
当日の朝はいつものようにシャワーを浴びて髭を剃って歯を磨いて。しかし、何だか嫌な予感もあって玄関を出るのは止めにしました。
始業前に会社に電話すると「お大事に」の一言と、社長の携帯にも連絡するようにと。
社長の携帯に電話を入れても出てもらえず、そのまま布団に戻りました。社長のいつもの出社時刻を考えると、まだ寝てるのかな?と。

その日は親しい知人やかつての信頼できる同僚にもメール等で連絡を取り合いました。
「これってどう思います?」と。「もう様子見の必要は無い」との回答がほとんどでした。疑いようのないブラックだと。
自分の中でも結論はほとんど出ていたのですけれど、冷静に判断したかったですし、周りからの助言というか背中押しも欲しかった次第です。
現場の危険度も高い中でこれだけドタバタな状況では、万一の場面で助かるべき命も助からない危険性が高く。
苦楽を共にしたコイツの為ならハズレクジを引く覚悟は自分の経験で幾度もありました。しかし、この社長に対してそんな思いは無く。多分、このまま続けていても無いだろうなと。誰とも信頼関係を築けないヒトなのかも知れないなと。

結局、翌日も休んでしまいました。
自分の結論は出ていましたが、どうやって辞めるか?でまだ迷えていて。
始業前に会社に電話すると、昨日と同じ会話の流れ。
次に社長の携帯へ電話すると、何故か社長が電話に出ました。
「おまえ、一昨日新入社員と一緒に帰ったよな?飯でも一緒に食ったのか?様子はどうだった?何をしゃべった?」根掘り葉掘り質問攻めです。
「駅まで世間話くらいでした」と返答。
もしかして、新入社員はもう辞めてしまったのかな?と思いつつ「何かありましたか?」と聴き直すと「何も無い」とのこと。

そして、本日会社にいつもの時刻に伺いました。手順は決めていました。
机の上の私物を鞄に入れ、清算の終わっていないレンタカーの立替分を総務に確認。
社長から書類が届いていないので、まだ払えないとの回答。
では退職届をと懐から取り出すと「受け取れません!」との回答。(まぁ受け取れないでしょう)
では社長席に置いておきますと。
入社時にはまともな挨拶の機会が無かったですが「皆さんお世話になりました」と深々とお辞儀をして会社を去りました。
ここまで自分のストーリー通り。15分も掛からなかったか。

新入社員は初日の出社後、翌日に電子メールで辞退の意向を伝えていたそうです。
まぁ賢明な判断だったと思います。無駄に時間を費やさなかった点だけでも自分より賢く。
今週初めの時点では古株の一人と急遽出張予定の自分でもありました。しかし、その古株も今朝は休んでいました。
年の瀬な今月、この会社はあと何人辞めてしまうのであろうか。
残る駒は極僅かである。

この間の自分は得意分野のお披露目を出来る機会がほとんど無く。これまでの転職では入社三日目以内に活躍の場があったものでした。モノによっては専門知識が必要で、何ヶ月も片付けられなかった問題を解決したりで。
今回は既に経験のあった分野の作業もあったのですが、同一の内容であっても組織が異なればやり方も違うもので、恥をかきつつ一々この会社のやり方に慣れるようにしていました。そして、その作業はこれまでの経験の劣化版なのが多く。
ここまでほぼ雑務しか無かった仕事に引継ぎの儀式も不要で。
誰かがやらなくちゃいけない内容も嫌な顔せず引き受けた次第です。手の汚れも酷かったので何度洗ったことか。面白いことに、スマートフォンの指紋認証も機能しなくなりました。
まだ野糞は抵抗あったので、出張の前日から食事制限はしていました。出張当日は水分も控え目で食事はカロリーメイトくらい。これは上手く機能しました。
出張のガソリン代、駐車代、宿代、レンタカー代等々自分の立替も多かったです。レンタカーの代金は自分の懐に戻ってくるのか、この間の給料は支給されるのか。
謎は多いものの、生きて無事に脱出出来た自分を喜んでくれている知人やかつての同僚に感謝の一日です。
とりあえず、名刺が発注される前に辞められて良かったと思います。プライベートの携帯番号が印刷されたら、休みも昼も夜も無くなってしまいますし。
(綴った内容については団体や個人を推定出来ない様かなり吟味しましたが、危ない部分も含まれておりますので後日消去する記事かも知れません)

追記:
何だか文句ばかり綴ってしまって、本人もしっくりしないので追記です。
組織の運用も製品も問題があったと思えるのですが、どちらか片方が片付けば両方とも解決しそうで。しかし、その雰囲気では無かった感です。
実際、数ヵ月前に作られた作業者名簿を観たところ、既に退職した社員も含まれていましたが、皆さん立派な学歴や経歴の持ち主でした。それが活かされていなく。
各社員は専門分野の経験も豊富だったハズで、専門分野で見抜けた問題点は専門力で解決出来た部分が多かったと思います。お金を掛けなくても手順を変えるだけで片付く部類もあるでしょうし。
そういった意見を素直に受け入れられる環境作りが必要だったのかと思います。反対するのが一人だけなのも判ってはいますが。

自動車メーカーのホンダも、乗用車に進出した頃に大失敗をしています。自転車に小さなエンジンをくっ付けてから始まったようなメーカー、自動二輪でも成功し軽自動車でも成功し。
社長だった本田宗一郎さんは当時既にカリスマ的な存在で、空冷エンジンに拘っていたそうです。「水冷では砂漠で水が切れたら走れないじゃないか」のような意見を何かで読んでいます。
反対意見が社内でも多い中、完成した車は結果的に問題だらけだったそうです。技術畑出身だった社長は、その後基本的に製品作りに意見しなくなったとか。
技術畑出身の社長でも会社を上手くまとめているパターンはあるハズで。それがかなり個性的な人物であったのなら、しっかりした補佐役を置くのが先決なのかなぁと。
製品自体の需要があった中、今後も社員の定着率が低いまま諸問題も解決しないでは組織も自然消滅してしまうかと。

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